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グループ2からです。

  • 2008/09/24(水) 11:47:54

まずはキレイオームさんからです。

 みなさんは人生で最高に好きな人がいるだろうか。
その人に対して、間違いをしたことがあるだろうか。
その時、みなさんはどうするか。

 私が生まれてから、現在まで、人生で最も好きな人は祖母である。
彼女は母の母であり、1926年にウボンラシャター県で生まれた。
私が生まれてからほとんどの人生は祖母と一緒だ。
幼少時代はいつも祖母と寝、食事をし、毎日料理を作ってくれ、今まで彼女が作った料理の味を覚えている。

 ところで、高校生の5年生の時、おばあさんは思い病気になり、その時祖母の病気を心配する気持ちより大切なことはなかった。
また祖母は
「人間の人生はいつ死ぬか分からないので、ばあちゃんがいなくなったら、自分で自分の世話をしてね。」
と言った。私は
「ばあちゃんは私の卒業式に行かなきゃね。」
と答えた。
おばあちゃん


 祖母の病気は良くなった。
大学に入った時、祖母から遠くいればいるほど心配するような想いがした。

 2005年10月、祖母を訪問するため、うちへ帰った。バンコクに帰るとき、祖母は駅まで送ってくれ、私もなんとなく心配な気持ちで祖母を抱きしめた。

 2006年のお正月に私は祖母に電話をすると、
「ばあちゃんを訪ねてね。オームちゃんにとても会いたいから。」
と言った。私は
「うん、来週帰るよ。待っててね。」
と答えた。
それから、祖母は入院し、1月11日妹は祖母が亡くなったと電話をした。
私の心は破滅するようであった。

 このことは、私の教訓になった。つまり手遅れになる前に、一番良いものをあげた方がいい。
今祖母がいなくても、彼女はずっと私の心の中にいる。

出会いもあれば、別れもあるのが人生です。
おばあさんが亡くなったことは悲しいけれど、
きっといつもオームさんを見守っているはずですよ。

次はポム(36番)さんからです。


 子どもの時、私はある親友がいた。
彼の家は私の家に近かった。
私たちは幼稚園から中学まで一緒に勉強した。
私たちは楽しく遊んだが、そのような幸せの時間はもう無くなった。

 ゴルフというのは私の親友の名前である。
彼と私は性格が正反対だった。
彼は強い自信があり、怒りっぽく、話し好きな人であるが、私は内気で、気が長く、静かな人である。
しかし、私たちは全然喧嘩したことがない。
毎日私たちは一緒に学校に通ったり、遊んだり、食事をしたりした。
中学校を卒業した後、彼はアメリカに留学した。
だから、私たちはあまり連絡しなかった。
 
 3年後、私はタイに帰ったが、新しい家に住んでいた。
時々、私たちは一緒に映画を見、旅行に行った。
しかし、昔のように親しくなくなったので、彼のことをあまり知らなかった。

 ある日、偶然彼のお母さんに会った。
お母さんはお父さんと別れた後、彼の行為が悪くなったと言った。
彼はあまり家へ帰らず、何を聞いても、答えがなかった。
お母さんは彼が麻薬を使っているのではないかと疑った。
それから、私は彼に電話して、お母さんが話したことは本当だと知った。
しかし、彼は一生懸命麻薬を止めていた。
マリファナ


 4ヵ月後、彼はガンで亡くなってしまった。
友人のみんなは彼が病気だったと全然知らなかったので、とても驚いた。
実際、彼は麻薬を止められ、お母さんのために、一生懸命勉強していたが、遅すぎだった。
 
 彼のことによって、人生は短いので、何でも早くするべきだという教訓を得た。
それに、麻薬は体に悪いので、麻薬と関係しない方がいい。

仲が良かった友人が亡くなるというのは、とても悲しいことでしたね。
麻薬は怖いですよ、それによってその家族や友人まで悲しくさせるものです。
彼からの得た教訓を生かして下さいね。

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グループ1からです。

  • 2008/09/24(水) 11:16:09

はじめはプリアウさんからです。

教訓はそれぞれの人によって違うようだ。
若者の間では大切な教訓を得た人が多いようである。
私もこのことには賛成だ。
新しいことを知りたい、見たい、やりたいということは若者にとって、当たり前である。
とにかく悪いことが分かっても、やりたいと思う。
では若者はどんなことをするのか。

 中学校で私は良い生徒ではなかった。
追い払われるような生徒の一人にすぎなかった。
特に、学校の規則の通りにしなかった。
私の家は学校の近くなので、早く起きずいつも朝寝坊した。
または、クラスに入る前に、列に入ることや国歌を歌わなければならないのが嫌いだった。
それで日頃の態度に関する点は10点を切られた。
 
 次に私が流行ヘアスタイルが好きだったので、その通りにカットした。
2回で60点も切られた。
先生は両親と私の日頃の態度について相談しても、私はまだ変わらなかった。
その時はやりたいことがあったら、やりたかった。
 
 ヨーローボールの時、小さいグループの学生はボールに関する賭け事をした。
リーダーがいて、お金をもらう。
賭けをする人がたくさんいたので、一人が捕らえられる他の人も私も捕らえられた。
この規則は50点を切った。
各生徒は百点を切ったが、私は90点を切った。
その時両親に叱られて、心配された。

 今まで、全部のことを覚えている。
成績が良いので、追い払われなかったことは嬉しかった。
そのことは悪いことでも、私にとっては良いことで、大切な教訓になった。
今大人になったので、どんなことをしたか分かる。
悪いことをしたら、会社の人に非難されるかもしれない。
若いときにやったことは、ずっと私の思い出と教訓になる。
青春

誰にでもそのような時期(じき)はありますよ。
社会に出た後(働きはじめてから)、お世話になった人へ恩返し(おんがえし)を
していけばいいのだと思います。
これからがんばってね。

次はダーさんからです。


子供のこと、皆は医者に会ったことがあるだろうか。
長い時間待ち、5分だけチェックされた。
薬は風邪薬だけもらった。
風邪になったら、鎮痛剤をもらった。
しかし、医者から、この病気を誤診された人もいる。
病状は悪くなり、お金もたくさんかかる。
私はこのような悪いことがあった。
「Teplarin」病院でひと月ほど入院した。
それは人生最悪で、私の教訓にもなった。
注射


私はお腹が痛かったので、医者にあった。
医者は私が食あたりになっただけと言った。
薬を飲んだのに、まだお腹にひどい痛みを感じた。
したがって、母は私に一度医者に会いに連れて行ってくれた。
医者は一度チェックすると、
「あなたは手術が必要だ。」
と言われ、「Teplarin」病院でひと月ほど入院することになった。
しかし手術後も何も食べられない。
毎日食塩手術をしなければならない。
また二週間に一回手術をした。
子どもなので、手術することはとても怖かった。
その上、その医者は私のお腹に道具を忘れてしまったと謝罪した。
母はこのことを聞いて驚いた。
二回の手術後、私は毎日苦手注射をしなければならなかった。
これは悪い記憶である。

 医者の誤診により、お金がたくさんかかっただけではなく、学校も休まなくてはならなかった。
あの時、もう一度医者に会わなかったら、もう亡くなっていたと思う。
したがって、どんなに秀才な医者に会っても全部を信じない方がいい。
多分お金と時間を失うだけではなく、命までも失うかもしれない。
これが私の教訓である。

ぞっとするような経験ですね。
本当に見つかって良かったですね。
ダーさんが書いていたように、重い病気の時は何人かの医師(いし)に見てもらった方がいいですよ。


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