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グループ2

  • 2008/08/15(金) 00:07:07

はじめは、ソムさんの作文からです。

友人は誰もが知っている言葉である。
しかし、それぞれの人の定義が異なる。
私の考えでは、友人の定義は助け合い、相談にのって、時には忠告する親せきではない人だ。
時間が経つと、その人と新しく知り合い、お互い誠実になり、その見知らぬ人が友人という親しい人になった。
 
ある人は友人を愛している。
ある人は友人が大切ではないと思う。
ある人は恋人と友人との重要性が同じである。
私が最も愛している人は家族で、次に愛しているのは友人だ。
私が友人が多くても、親しい友人は多くない。
高校生の時、親しい友人が五人いた。
しかし、合格した大学で勉強するために、離れた。私は寂しさを感じ、新しい友人が古い友人と同じではない、いい性格かわからないので、新しい友人は欲しいわけではなかった。大学生の時、他の人から誠実なことが欲しかったら、まず自分が誠実さをあげると思うようになった。
今、私には親しい友人が二人いる。
ギャグさんとネャットさんだ。
寮に住んでいるので、病気の時、私の世話をする人はこの二人である。
時には意見が違ったり、けんかもしたが、仲直りをした。
私はけんかすることでよく分かり合った。
ある人は一生の友人になった。
しかし、意見が違った時に、お互いに話し、友人になるのを止めた。
だから、けんかしたら、道理でお互い話した方がいい。
 
どのくらいの間、友人と結びつくのか分からない。
離れなければならない日に至るまで、友人と結びついているのが多い。
私は高校の時、KMITLで勉強するために、友人と離れた。
今、四年生になり、大学を卒業するので、自分の夢のために再び友人と離れる。
しかし、ずっと私の記憶になっていることはKMITLの友人からもらった、いい友情である。

進学をしたり、就職をしたりする中で、友人関係ももっと広くなっていきます。
離れることはつらいけれども、久しぶりに古い友人と出会った時の喜びは、とても大きなものですよ。

次はネャットさんです。


友人という言葉を定義したら、様々な意見がある。
私の考えでは、友人とはわがままではなく、嬉しい時や問題がある時など助けながら、いつでも私といる人である。
また私が間違えた時、友人は注意する。
この作文は友人について書く。

 人は一人で何もできない。
だから、誰か手伝う人が必要だ。
幼い時から、今まで多くの友人がいても、本当の友人というのは五人以下しかいない。
友人という言葉だけでの約束ではない。
人の間に心の関係である。普通の友人は新の友と違う。
真の友は私が知り、分かる人だ。

 社会には様々なタイプの人がいる。
だから、知っている友人がいい人も良くない人もいるのは当然なことである。
次は、私の親しい友人について語る。
この友人は小学生の時にできた。
彼女は優しいし、大人しいし、いい人だ。
私が気がかりな時、彼女が忙しくても、私の側で私をなぐさめて、問題を解決する。
私のために、彼女がすることは何でも嫌がらないでする。
だから、私はずっと彼女からもらう誠実さを感じる。
彼女は私が大好きな親しい友人だ。
 
一方、私は良くない友人がいた。
彼女は私が大好きな親しい友人だった。
秘密を打ち明けて、問題がある時、相談するが、彼女は私のことについて他の人と悪口を言い、お金をだまし取った。
 
出会った友人との経験から、「友人関係は作るのに、長い期間かかってもだますという言
葉で急に破壊されやすい。」ということが分かる。
誠実だけくれた友人だったので、彼女の価値を見なかった。
気持ちが良くなるために、「彼女がくれた友人関係をもらわなかった方がいい」と思う。
 
私にとって、友人とは大好きなシャツのようだと思う。
長い間経っても、このシャツは洋服箪笥(だんす)の中にずっとある。

少し悲しい経験をしたようですね。
それでも、最後の言葉に表れているように、
ずっとネャットさんの中での思い出になっているんですね。
今はソムさんやギャグさんなどの友人がいますが、
これからも多くのいい友人に恵まれますから、前向きに考えて下さいね。

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